特別ゲスト


文化庁文化部長 元文部科学省大臣審議官 寺脇研

真生会富山病院心療内科部長 明橋大二

星槎(せいさ)グループ代表
宮澤保夫


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不登校関係者のみなさん

不登校経験者のみなさん

その他、多くのインタビューにお答えくださったみなさん


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★スタッフ★



監督   巨椋修(おぐらおさむ)


ラインプロデューサー・助監督   阿部治人

助監督補      北井さとえ

プロデューサー   宮川正文(麦の根代表)


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音楽        ……鈴木晃二



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不登校関係者のみなさん

不登校経験者のみなさん

その他多くのボランティアスタッフのみなさん


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アドバイザー  ……中田新一

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プロデューサー 宮川正文略歴

1974年生まれ
富山県 高岡市出身 宮川 正文
3歳 保育園に入園(一つ目は二日で退園。二つ目は小学校入学まで在園)

6歳 小学校入学

7歳(小二) 分校が出来たため小さい小学校に転校。

10歳(小五)母の実家に近い小学校に転校。(祖父母と母が不和の為)僕には合わない学校だった。祖父母と母が和解したので元の小学校に一ヶ月で戻る。

12歳 中学校入学

12歳(中一)六月.祖父死去。 二学期から登校拒否。

13歳(中二)四月から再登校。午前中だけ登校。(中二前後より拒食症状が出始める)

十一月、主に拒食症状が続いたと言う理由で、兵庫県の宗教施設に送られる。中三までに四回脱走を実行する。

14歳(中三)宗教施設より学校がましと思い、再び、登校を始める。もともと卒業証書欲しさ、自由欲しさのための妥協だった。だからやる気のない登校のため疲労が極度に達する。

15歳 高校入学(高一)九日間だけ登校し、(一年休学。大検を受けようと思ったが全日制在
学のため断念)

十二月、祖母死去。

16歳(高一)留年し四月から登校。 九月、退学。

17〜19歳 定時制と併設する通信制高校を(二次募集を含む)四回受験したがいずれも失敗。

21歳 中日新聞、学校へ行かなかった僕からを連載。この頃から多くの人前で体験も語り出す。(現在は一年ほど前に終了。

23歳    麦の根を仲間とはじめる。

25歳    教研集会の全国大会に二度目の出場。不登校分科会。

26歳   企画を書いて補助金が下りたので,仲間と電脳塾を開始。

26歳    2001/一月より朝日新聞富山版に「麦の根ずいそうろく」を仲間と共に連載。

26歳    2001/4月より正式に富山大学非常勤講師。

28歳    2003年現在 映画「不登校の真実」作成中。

共著など。(と言えるかどうか…(^_^;))

『親が変われば子どもも変わる』(日本財団刊) 

 『不登校の真実』(きんのくわがた社刊)

『若者達が語る不登校』(世織書房刊)等

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監督 巨椋修(おぐらおさむ)プロフィール

1961年 神戸市生まれ 東京在住
小説家 漫画家 

1982年 「デラックスマーガレット」(集英社)で漫画家デビュー。

1996年  小説「実戦! ケンカ空手家烈伝」(福昌堂刊)にて小説デビュー。

同年、総合格闘技 陽明門護身拳法道場を発足。

現在、NPO法人国際空手道連盟極真会館の機関紙にて漫画を連載中。

その他著作には、『不登校の真実』(きんのくわがた社)
『教師たちの裏は真っ暗闇−学校の危ない先生たち−』(コズミックインターナショナル刊)

日本映画監督新人協会役員。

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ラインプロデューサー 助監督 阿部 治人 (あべ はるひと)略歴

1973年9月4日生まれ

宮城県仙台市出身 (東京在住)

日本大学 工学部 卒業

日本映画監督新人協会会員

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1995年  映画仲間と自主映画制作チーム『A&M』を結成

1997年  地元(仙台)の会社に就職

2000年  在職中に自主映画『おじさん』で、東京ビデオフェスティバルのビデオケーション賞を受賞。

また、5年の歳月をかけ、A&M制作、自主映画『HITMAN』完成。 監督、脚本、主演を演じる

会社を退職し、専門学校でコンピューターグラフィックを勉強。
CGによる短偏時代劇『居合道2』を制作

2001年  プロダクション 株式会社アドックス 入社。カメラマンアシスタントとして企業PRビデオ、CM制作に携わる。
その後、映画制作の勉強をするため上京      

2002年  自主映画『不登校の真実』の助監督兼ラインプロデューサーを勤める。